GWはいかがでしたか?
まだ5日しか経ってないのにずいぶん前のことのようです。
僕はGWの最終日に実家に帰ったんだけど、その時に探し物があって、今は物置と化しているおじいちゃんの住んでた家に立ち寄りました。
実家は岐阜市にあって、東京の大学に入るまで僕はおじいちゃんのうちに家族6人三世代で住んでいたので、子供の頃のガラクタが少し残っています。
もう30年も前のことなので、この家にたまに寄るとすっかり忘れてたものに遭遇することもあります。
そんな中でもこの前帰郷した時に再会したとびきりA級のガラクタを紹介しましょう(笑)
まずはジャパン・ヴィンテージ2本!
どこが「ジャパン・ヴィンテージやねん?」って突っ込まれそうだけど。ほんと、まったく価値無いですな。笑
昔は「流し」って酒場に居て(って当然僕は少年だったから酒場で流しを見たことは無いんだけど、、、)、一度親戚がすごく集まった新年会があって(なんでこんなに集まったのか理由はよく覚えていない)、その時に流しの人が来て歌の伴奏をしていったのが強烈な印象に残ってる。
右のエレキはその流しの人から中学生の時に買ったSGモデル(?)。それをEVH風にペイント&テーピングしたもの。僕の最初のギターです。買った時から程度の悪いギターで、のちのちトーカイに出会うまで、これが標準のギターだと思ってしまった、ちょっと苦いギター。
4つ上に姉がいるせいだと思うけど、僕はませた中学生でLed ZeppelinとかDeep Purpleとか聞いてて、これでジミーペイジやリッチーのコピーをしてました。でもこのギターってなんとなくGS仕様(音源の規格じゃなくて、グループサウンズのことね)なのかサーフ仕様で、このギターについてるトレモロだとアップしてしまって、「なぜかリッチーみたいにならないなぁ」と困惑の時代を過ごしてました。
そしてアコースティックの方は、岐阜市街のレコード屋さんで買ったもの。昔のレコード屋さんって楽器を扱っているところも多くて、レコード見たり楽器を眺めたり、毎日通ってた気がする。そんなに通っていたのにレコード屋さんの名前は忘れてしまったけど・・・住友銀行の向かいにあったお店の店頭に並んでいた最安もので、5千円くらいだったと思う。
このギターですっかりフォークギターを弾く気が無くなった(笑)。当時、アリスや千春全盛で、やはり弾き語りもしたいなぁ、と思ってたし、中学の文化際ではエレキが禁止されてたし(ってすごい時代だな)、フォークギターに手を出したんだけど、、、このギター、弦高が1cmくらいあって、僕はすっかり「これがフォークギターなんだ。弦を押さえるのにすごい力が必要だなぁ」と思い込みんでしまい、握力アップの器具を毎日ギコギコ握るトレーニングを続けたが、Em、Amがやっとで、とてもFは押さえられなかった。そんな時、先輩の家でYAMAHAのフォークギターを弾かせてもらい、「なんじゃこりゃー」ってメガトン級の衝撃を受けた。
なんとか弾きやすくしようとナットの溝を削り、ついでにリッケンバッカーみたいにしようとヘッドをノコギリでカット。ペグも交換し、好きだったタイレルの6輪車風に配置。リッチーみたいにスキャロップドに加工しようと指板を削ったがうまくいかず、途中であきらめた。
こちらは初めて作ったエフェクター。というかアダプターだけど、、、
ヤバイ、MXRとか書いてある。当時はMXRなんてすごい高くて憧れの存在でした。
この頃、BOSTONのトム・ショルツに感化され、彼みたいに自分のエフェクターは自分で作れるようになりたいと、ディストーション+やオレンジスクィーザーなんか製作しました。ゆくゆくはシンセサイザーも作りたいと、モノフォニックシンセも作ったんだけど、見つかりませんでした。
いあやぁ、このテキトーな仕上がり、、、いえ、多分当時は手抜きもせず一生懸命やったんだと思いますが、いま見るとちょっと恥ずかしいです。
と、ここまでは想いはあってもほんとガラクタ、なんでこんなものとってるの?と思われる方もいるだろうけど、心残りはカワイのピアノ。(写真は撮り忘れた)
僕はピアノはまったくダメなんだけど、あのピアノをこのまま空き家に放置しておくのはかわいそうだな。
誤解されないように言っておくけど、ピアノの金銭的価値を言ってるわけじゃないよ。多分見積ってもらってもそこまで金額つかないと思う。楽器を愛するものとして、このままにしておくのは忍びないということ。
それで、どんなピアノかってことなんだけど、、、昔はピアノといえば黒ばかりだったけど、うちのピアノは茶色。しかも当時はワインレッド系の赤が多かったのに、うちのは明るいブラウン。多分姉の好みでこの色になったんだと思うけど、当時は「黒いヤマハのピアノがいいなぁ」と思ってたけど、今見ると、ブラウンのピアノってかっこいいし、カワイのピアノって暖かい音するし、いいんだよね。
つくりもしっかりしてるし、なんとか調整して使いたいけど、置く場所確保しないといけないし、陸送しないといけないし、って感じで当分先になりそう。
<番外編>
実家近くのかき氷屋さん。僕の通ってた梅林小学校の近くにあります。
30年ぶりに食べたけど、昔と変わらない味で、涙ちょちょ切れで食べた。
いや、正直、子供の頃はこの美味しさが分からなかった。ミルクシャーベットって感じで、ソフトクリームが上手いと思っていたガキには、イタリアンジェラートのような美味しさが分からなかった。
しかも、オーダーしてから中身を入れるので、モナカの皮はパリパリで、これもすごくいい。
今は1個50円って安いけど、昔は1個20円だった! 10個大人買いして、3個いっき食い。
そんな馴染みの店だけど、名前は知らなかった。(昔は向かいに「さくらい」という商店があったから、「さくらいの向かいのカキ氷屋」なんて呼んでいた)。そこでなんて名前か調べたら、「平工アイスクリーム」というらしい。チロ的岐阜グルメというブログに詳しいことが出てた。
今年のGWの帰省は、まるでタイムマシンにのって、過去に行ってきた気分でした。
いまの自分があるのは、こんな過去もあったからなんだろうなぁ、と思いを深めた旅でした。